一人くらい・・・そんな気持ちが危機を呼ぶ

ガード下はゴミだらけ

自動車で道路を走っていると、ときどき、異様なくらいゴミが溜まっているところを見かけます。ガード下や、高架のフェンス下などがそうです。

ゴミ置き場でもないのに、どうしてそんなところにゴミがたくさんあるのか不思議でなりません。

どうも、ゴミがたくさんあるところはゴミを捨ててもいいところだと認識してしまう人が多いようで、ゴミのあるところにさらにどんどんゴミが溜まっていくようなのです。

同じような光景をお墓参りのときに見かけたことがあります。墓地の一角に、なぜか枯れた花や線香の燃え残りなどのゴミが山になっているところがあったのです。

その近くには誰かのお墓があるのに、平気でそこにゴミを捨てていく人が後を絶たないのです。見かねた人が「ここにゴミを捨てないでください。」と、立て札を立てました。それでも、ゴミが減ったのはしばらくの間だけで、またゴミが山積みになっていきました。

人の意識というか、思い込みは恐ろしいものです。人がしていれば、自分も悪いと思っている行為をしてしまうものなのでしょうか。

恥ずかしいポイ捨て行為

自分が不要になったものを、どこにでも捨てる行為は恥ずべきことだと、私は思います。

数年前、私の住んでいる家の近くにコンビニエンスストアができました。コンビニができると、便利になった反面、近所の側溝に、お菓子の袋や、おにぎりを包装してあったパッケージなどのゴミが捨てられることが多くなりました。

どう見てもコンビニで購入した商品のパッケージなのです。食べながらゴミを捨てていく人がいるのでしょう。でも、そのゴミは自然に帰らないプラスチックゴミなのです。

自然に消えてなくならないゴミだけど、誰かが拾って処分してくれるとでも思っているのでしょうか。

「甘えるのも大概にしてください。」ポイ捨てをする人たちに、そう言いたいです。

一人くらい、されど一人の力は大きい

ポイ捨てをする人は、きっと自分一人くらい、捨てても大丈夫と思っていることでしょう。でもそういう人たちがたくさん集まれば、ゴミは大量に放置されることになります。ガード下に溜まったゴミのように、ゴミがゴミを呼ぶことになりかねません。

一人だけなら小さな影響でしかないことでも、たくさん集まれば大きな影響を及ぼしてしまうこと、それがポイ捨てのように負の行いであれば、大きなマイナスにつながります。

しかし、これがプラスの行いであればどうでしょう。

たとえばゴミの分別をきちんと続けている人が、たった一人ではなく、たくさんの人たちになれば、ゴミの一部が資源として活用される確率が高くなります。

地域の清掃活動に取り組もうとたった一人の人が思いついたとしても、その考えに賛同し、ともに取り組もうという人たちが集まれば、たちまちその地域がきれいになるでしょう。

一人一人の力は寄り集まることによって、良いことにも悪いことにも大きな力を発揮します。できることなら、私たちの力をプラスの方向に合わせて、みんなで地球環境を守っていきたいものです。

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