自給自足生活と家畜を飼うということ

家畜について

畜産農業の大変さ

野菜は少しであれば、家庭菜園で手に入れることができます。魚介類は、海や川に行けば手に入れることが可能です。でも、畜産物を手に入れるのは一般家庭にとっては大変なことです。

雌のニワトリが一羽いれば、卵を手に入れることはできますが、ニワトリを一羽飼うということは大変なことです。ニワトリは、思っている以上に大型の鳥です。比較的小型のチャボでさえ結構な大きさがあります。

餌を食べる量も多いし、糞も大きいので臭いもするし、何よりも飼う場所を確保する必要があります。

私は子供の頃、ひよこを買ってきて育てていたことがありますが、黄色い毛が生え変わり、白い色になって、とさかのようなものが出てき始める頃には、飼っていた段ボール箱を飛び出すようになってしまいました。

結局、飼っていたのは雄のニワトリだったため、大きな声で鳴くようになると近所迷惑だからと祖母に説得され、広いお庭のあるお屋敷に引き取っていただきました。

ニワトリでさえ一般家庭では飼うのが大変なのに、豚や牛なんて到底飼えるものではありません。いくら自給自足生活がしたいと思っても、畜産業だけはなかなか敷居が高いように思います。

家畜とペットの違い

動物を飼うこと自体は、愛情があれば決して無理なことではありません。

愛玩用の動物はたくさんいます。犬やネコを飼う人はたくさんいますし、小鳥や小動物なども簡単にペットショップで手に入れることができます。

しかし、一緒に暮らすパートナー、またはお友達的な存在のペットと、自分が生きていくために必要な家畜とはまったく別の存在です。

かわいい犬やネコを食べるなんて絶対にできませんが、食肉用の家畜はその命をいただくことを目的として飼育しているのです。豚だって生まれたばかりのときは本当に小さくてかわいらしいものです。

それがどんどん大きくなるにつれ、「かわいい子豚ちゃん」から「お肉の豚さん」に変わっていきます。家畜を飼うということは、愛情をこめて育てた動物との決別を覚悟しなくてはいけないのです。

命の大切さを知る

ずいぶん前のことですが、何気なく見ていたテレビに畜産農家の少年の話が出ていました。その男の子は自分の家の豚舎で生まれた豚をとてもかわいがり、一生懸命に育てていました。

それなのに少年はその豚に名前をつけてはいませんでした。名前をつけてしまうと余計に情が移ってしまい、別れがつらくなるからです。

テレビを見ていた私たちでさえ、その別れのときを想像すると悲しくなるくらいなのですから、その少年のつらさは想像を絶するものだったかもしれません。

私たちが自分たちと同じように食べ、同じように生きて、動いていた動物たちの命を奪うことに罪悪感抱いてしまうのは、当たり前のことです。それでも家畜は人のために命を供してくれるものなのです。

先に書いた、完全な自給自足生活を送る農家の方は、鶏肉を食べるときには、鶏舎に行ってニワトリを一羽絞めてくるのだと話していました。残酷な話に聞こえますが、本当の自給自足とはそういうものなのです。

「命」を繋ぐために、「命」をいただく、それが「命」の営みだということを理解していないと、自給自足生活は、ただの残酷物語になりかねません。

本当に命の大切さを知った人こそが、真の自給自足生活を送ることができるのだと思います。

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